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EMOTION感性 NO.1381 R1-11-18 ◆乃木将軍とステッセル将軍2019.11.18

NO.1381  R1-11-18
◆乃木将軍とステッセル将軍
「まだ旅順は陥ちないのか!」・・日本の国にとって、戦争のない平和な歳月が75年も続いています。日清戦争(1894年)から太平洋戦争(1941年)まで、日本が近代国家として国づくりにつとめていた歳月には、外国との戦争かたびたびおこりました。(もしこの戦争に負けたら、日本はほろびるかもしれない)そんなことが何回もありました。1904年、アジアに勢力をのばそうとするロシア(いまのソ連)が、満州(いまの中国の東北地方)から軍隊を引きあげないことから始まった日露戦争も、そういう戦争の一つだったのです。明治37年の秋のことです。「乃木将軍はなにをやっているんだろう。旅順の攻撃を始めてから、もう3か月にもなるじゃないか」、戦争のなり行きを見守っている日本国民の間からはもとより、作戦計画をたてる大本営の中からまで、そんな声かあがり始めていました。

そのころ旅順港は、ロシア艦隊の柾拠地になっていました。日本が、海を渡って軍隊を送るにも、弾薬、食糧を補給するにも、ロシアの軍艦がいて邪魔をしたのでは、思うようにいきません。日本軍が旅順港を占領して、その邪魔ができないようにしてしまえるかどうかは、戦争の大勢を決める大きな問題です。
このためにロシアもまた、旅順港をとりかこむ背後の丘に、堅固な要塞を築き、砲台を作って、海からも陸からも守りをかためていました。乃木希典将軍は、陸から旅順を攻撃する第三軍の司令官だったのです。しかしそのころのロシアは世界一の陸軍国です。おまけに、ロシア軍の使っている機関銃は、日本軍にはまだありませんでした。

攻防は猛烈をきわめました。ロシア軍は、そのすぐれた武器と豊富な弾薬で攻めのぼる日本軍に雨のように激しい砲火をあびせます。日本軍の兵士はバタバタと倒れ、死傷者は要塞の斜面を覆いました。倒れても倒れても日本軍は攻め上っていきました。このようにして、この年8月から11月までの間に3回の総攻撃が行われ、12月の初めになって、やっと要塞の要になっている丘の一角を占領することができたのです。この丘は二〇三高地と呼はれ、ここから旅順港のロシア艦隊への砲撃が始められました。
年を越した明治38年1月1日、要塞を守っていたロシア軍の司令官ステッセル将軍は日本軍に降伏しました。 攻撃が始まってから百五十五日`後方部隊まで加えると`ダこの攻撃に加わった13万人の日本軍のうち、実に5万9千人の死傷者を出したという一事でも、この戦いの激しさかよくわかります。

武人としての名誉を! 要塞をあけ渡すための、乃木将軍とステッセル将軍との会見は、1月2目、水帥営という村で行われました。 会場には、戦火の中で残った。一軒の民家があてられました。「降伏したロシア軍の司令官以卜に対しては、十分に武人としての名誉を重んじるように、という天皇陛下のお言葉もあり、将校以下は、帯剣のまま会肢に出席してさしつかえない」乃木将軍からステッセルにあてて、とくにそういう伝言が送られていました。 土の壁に残る銃砲弾のあとが、戦いの激しさをなまなましく物語っている民家の中で、つい二日前まで、敵味方にわかれて戦ってきた二人の将軍は、しっかりと手を握りあいました。「戦いに敗れた武人の体面にもお心づかいくださる日本国天皇のお気持ちは、感謝にたえません」感激に瞳を輝かせて、ステッセルはいいました。
「日本軍兵士の強さ、勇敢さにも敬服しました」「お互いに、よく戦ったと思います」乃水将軍はそう答えて、もう一度ステッセルの手を握りかえしました。二人の将軍の顔にも言葉にも、半年近い歳月、激しい戦いをくりかえしてきた敵に対するような気配は、少しもありませんでした。 戦争はつらく悲しい!

会議を終わると、二人の将軍とおともの将校たちは、応に出て、砲火の中でたった一本残ったナツメの木の下で、記念の写真をとりました。 そのとき、ステッセルはふと思い出したように、隣の乃木将軍のほうに向き直っていいました。「閣下は、この方面の戦闘で、二人の息子さんをなくされたとうかがいました。閣下のお胸のうちを思うと、申し上ける言葉もありません」乃木将軍の二人きりの息子、長男の勝典中尉は南山の戦闘で、次男の保典少尉は二〇三高地の攻略戦で、あいついで戦死していたのです。 「ありかとう」乃木将軍は、おだやかな視線ステッセルの顔にあてました。
「しかし、そんなことよりも、私は、陛下からおあずかりした数千の兵士を、この戦闘で失っています。そのことが、何にも増して、つらく悲しい気持ちです」二人の将軍は、言葉もなく顔を伏せていました。
乃木将軍にしても、ステッセル将軍にしても、戦争というものか、どんなにか残酷で、悲惨なものであるかということを、このとき全身で感じていたに違いありません。(文・尾崎秀人より)

乃木将軍の名前は知っていますが、日露戦争の話から歴史の勉強です、新天皇の即位正殿の儀が終わり、平和という安心を継続できるよう念願です

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