EMOTION感性 NO.1392 R2-2-10 ◆1万人の食を支えたシェフ2020.02.10
NO.1392 令和2-2-10
◆1万人の食を支えたシェフ
1964年(昭和39年)の東京オリンピジクにおいて、選手村の食堂では選手、役員、報道陣のために、毎食1万人分の料理を出す必要があります。しかもアスリート向けの食事のカロリーは一般の人の2倍。一般の人であれは、2万人分の量です。
食材の量も膨大で、ピーク時には1日で肉か15トン、野菜が6トンにもなったといいます。それだけの材料を一度に調達すると、物価が高騰し食材の価格に影響を与えてしまいます。そこで、村上はオリンピックが始まる半年以上前から食材を少しずつ調達し、冷凍保存することにしたのです。
選手村の給食事業を担う日本ホテル協会の会長であり、帝国ホテル社長の犬丸徹三は、冷凍食品を認めないことで知られていました。これは、考えが古いというよりも、当時の冷凍食品は「くさくてまずい」というのが常識たったのです。しかし村上は、冷凍食品を使用しなければ東京大会は乗り切れないと犬丸を説得します。
反対されると思いきや、犬丸は「冷凍した材料と、生鮮材料で同じ料理を作ってみろ。皆を招いて試食会をする」と答えます。新しい可能性を追求する必要を感じていたのかもしれません。
村上は早速、冷凍食品に詳しい部下の白鳥浩三と、冷凍食品を扱う日本冷蔵(現 ニチレイ)の技術者と一緒に、さまざまな材料の冷凍方法を研究します。生のまま冷凍するのか、調理してから冷凍した方が良いのかなど、あらゆる材料で実験を重ねます。村上はシベリア抑留中に凍ったじゃがいもを工夫して食べたことがあり、その経験も役立ちました。
白鳥から「急速に、なるべく低い温度で冷凍すると味が落ちない」と聞くとオリンピックのために、瞬間的に零下180度まで下げる冷凍機械を、日本窒素という会社に開発してもらいます。
さまざまな努力が功を奏して、500人の関係者を招いたビュッフエ式の試食会は大成功に終わりました。特にローストビーフは好評で、冷凍とそうでないものの昧の違いは、ほとんどなかったといいます。
この東京大会で日本の料理人を大きく変えたのは、「調理のシステム化」てした。たとえはサンドイッチの場合、パンを切る係、ハムを乗せる係、パターを塗る係なと、作業を分担するシステムにすれば、ほんの30分で300人前ができるのです。「今はあたりまえのこと。そのあたりまえがあの頃の料理人たちにはできなかったし、考えもしなかった」と村上は後に語っています。ほかにも、冷凍食品の活用、下ごしらえを専門に行う「サプライセンター」など、東京大会を機に生まれた大量調理のノウハウは、後の万博博覧会でさらに広まり、ファミリーレストランをはじめとする外食産業の誕生に結びつくのです。
オリンピックという一大事業の下、日本のために力を合わせた料理人たちは、自らも発展することができたのです。『帝国ホテル飼房物語』私の履歴書/村上信夫氏
今の冷凍食品の品質は抜群です。中には栄養素が高まるという物もあるとか・・、今年のオリンピックには、一段とステップアップされるでしょう。我々プロドライバーとしても裏方での努力を残しています。
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