EMOTION感性 NO.1425 令和2-10-12 ◆本能寺の変(明智光秀)2020.10.11
NO.1425 令和2-10-12
◆本能寺の変(明智光秀)
日本史上最大のミステリーともいわれる「本能寺の変」は、1582年6月2日に起こります。主君・織田信長に対し、家臣の明智光秀が謀叛を起こした事件として知られていますが、動機や真相には諸説あり真実は明らかではありません。
光秀は、羽柴秀吉と並び信長に最も信頼された家臣の一人でした。当時光秀は、坂本城(現・滋賀県大津市)や亀山城(現・京都府亀岡市)の城主であり、組下大名に細川藤孝、筒井順慶らを従える近畿管領ともいうべき地位にあり、石山本願寺攻め(1570年~1580年)や丹波国攻めに従事し、1579年には丹波平定を完了し、その功績も充分認められていました。
その光秀が、なぜこのような大事件を起こしたのか、数多くある説の中から代表的なものを紹介します。
最も古典的といえる説が、光秀が信長を恨んでいたとする「怨恨説」です。光秀が信長に対して口答えをしたので信長が足蹴にした(フロイス『日本史』)など度重なる折檻や虐待を受けていたこと、人質として八上城に預けていた光秀の母を信長が見殺しにしたことなどがきっかけで、光秀が怨恨を抱き謀叛したというものです。
映画やドラマでもよく採用される説ですが、現在は他の説が有力です。たとえば「足利義昭推載説」です。『六月十二日付、土橋重治宛、光秀書状』の原本が発見され話題の説です。この書状は、本能寺の変から10日後に光秀が重治に宛てて書いたものです。書状では名前が伏せられているものの、足利義昭の上洛について述べられており、重治が義昭の指示によって行動していること、光秀も既に義昭の上洛戦への協力を約束していたことがわかります。果たして光秀の背後には室町幕府最後の将軍、義昭の暗躍があったのでしょうか?
次に「朝廷黒幕説」です。当時、朝廷と信長の間には、さまざまな軋蝶があったといわれています。信長は1582年自分の誕生日に自身を生き神とする祭典を催し、武士や庶民に参詣を強要しました。信長の自己神格化は、天皇の地位を脅かすことにもなり、光秀はそれを許すことができなかったという説です。
ほかにも「正親町天皇への譲位強要説」や「馬揃えによる圧迫説」などがあります。
近年有力視されているのは、『石谷家文書』が根拠となる「四国政策転換説」です。信長は、四国統一を目指していた土佐(現・高知県)の長宗我部元親に対して攻め取った領地は自分のものとなる”四国の切り取り自由”を認めていました。
真相は光秀本人が知るのみですが、彼が起こす本能寺の変がその後の歴史に大きな変化をもたらすことになります。(月間朝礼巻末より)ところが1581年(天正9年)信長は四国政策を転換し。”四国の切り取り自由”を撤回したうえ、取次役の光秀も更迭しました。窮地に立だされた光秀は将来に大きな不安を抱き、信長を討つことを決めたという説です。
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