EMOTION感性 NO.1463 令和3-7-19 ◆渋沢栄一(官僚となる)2021.07.18
NO.1463 令和3-7-20
◆渋沢栄一(官僚となる)
徳川昭武と栄一含む一行はフランスから1868年12月に横浜に到着します。この年9月明治に改元が行われ、さらに明治5年に太陰暦から太陽暦に変わったことから、この日は遡って計算すると和暦では明治元年11月3日です。
新政府が樹立されたものの、日本の国内はまだ落ち着いてはいません、新政府軍に反抗して籠城していた会津藩は、9月に降伏していましたが、反乱する勢力は各地にまだ残っていました。旧幕府軍の複本武揚は、蝦夷地(北海道)を支配し、事実上の政権「蝦夷共和国を樹立します。彼らは新政府に対抗するために、将軍家の血統を持つリーダーを欲していました。栄一たちが上海に寄港した際、反政府の一派から、「昭武に蝦夷地の首領になってほしい」と誘いました。しかし、ヨーロッパを旅してきた栄一には、旧幕府軍の企みは無謀にしか映りません。断固として拒否し、昭武を無事に水戸藩に返します。この蝦夷地共和国には、従兄、渋沢成一郎が参加していました。栄一はその身を案じながらも、味方をすることはなかったのです。帰国した栄一は、昭武のいる水戸藩からも要職に誘われますが、慶喜に従い静岡藩を選びます。主君を支えたのです。
高惇忠をはじめ、かつて尊王夷の志を共にした仲間たちも静岡に集まってきました。当時、静岡藩には、政府から貸付金がありました。栄一はこの資金を元手に殖産を行い、その利益から返納していく提案をします。そして事業を行うために、日本で初めての銀行兼商社である「商法会所」を設立したのです。
後に「常平倉」と改名したこの組織は、日本における会社組織の走りともいわれています。栄一はこの組織で米や肥料を売買し、利益を上げることに成功します。『渋沢栄一伝』を著した作家、幸田露伴によると、総資本29万4717両余によって8万5651両余の利益をあげたといいますから驚きです。
新政府もまた、栄一|の手腕に注目します。民部卿と大蔵卿を兼務する伊達宗城は、栄一のパリでの会計手腕を高く評価していました。彼の推薦で、栄一は民部省兼大蔵省(現在の財務省)への仕官を命じられます。当初は静岡での仕事を理由に断りますが、それを熱心に説得したのが、後に総理大臣にもなる大隈重信でした。
「あなたの経歴を聞くと、やはりわれわれと同様に、新しい政府をつくるという希望を抱いて、辛い苦労をしてきた人である。そうであるならば、出身は問わず、もともとは同志の一人ではないか」。彼の熱意に感銘を受けた栄一は、とうとう話を受けることを決意します。かくして、「明治政府の官僚」という新しいキヤリアが始まったのです。「お役所仕事」とはいいますが、立ち上がったばかりの明治新政府の仕事は、そのような楽なものではありませんでした。
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