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EMOTION感性 NO.1296 平成30-2-26 ◆錦帯橋2018.02.25

NO.1296 平成30-2-26
◆錦帯橋
 周防国(山口県)岩国の三代藩主、吉川広嘉が錦帯橋の構想を思いついたのはカキモチを焼いている時だったという伝説がある。
ふくれたところを火箸でおさえてもフワッと元通りにはねかえる。その瞬間、人や車で上から力がかかっても平気な刻橋の原理がヒラメいた…。
 殿様のモチ焼きは眉唾物だが、歴代藩主が錦川の架橋に頭を悩ましていたことは間違いない。岩国城の外堀に当たる錦川は幅約200メートル、ふだんは透き通るような水が城山の緑と美しくマッチしているが、いったん大雨が降ると手がつけられない。
 激流に流されないようにするには橋脚なしで両岸を結ぶのが理想だ。現存する日本最古の橋、甲斐の猿橋(山梨県大月市)は深さ30メートルの断崖に架けられているが、両岸から四段重ねで刎(はね)木(き)をせり出し、最上部で桁を渡して連結している。刎(はね)木(き)はしっかりと両方の岸壁に埋め込まれ、橋桁から圧力がかかると反撥力で橋体がひきしまる独特の本造アーチ構造である。
岩国藩主、広嘉は思いつきなどでなく、科学的思考力を持った名君だった。残された記録によると、中国からの渡来僧から中国の進んだ橋梁技術を吸収し、お抱え大工を長崎へ派遣して眼鏡橋など石造アーチ橋の手法を学ばせ、みずからも参勤交代の途中、甲斐の猿橋を視察したという。
こうして設計されたのが、四基の石造橋脚を構築し、これに五連の本橋を架け渡すという世界にも例のない木造アーチ橋で、延宝元年(1673)六月に着工、わずか三か月で完成した。この最初の橋は翌年五月に洪水で流失したが、広嘉は、欠陥が橋自体ではなく橋脚にあったことを確めると、これを改善して再建する。
  むろん木造橋だから20年おきくらいに造替されたが、昭和25年秋のキジア台風で流失するまで276年ものあいだ無事故の記録を誇った。現在の橋は昭和28年に再建されたものである。 (大成建設資料より)
岩国錦帯橋     斐の猿橋(大月市)
三大奇矯と言う言葉がありますがこの2つは入っているけどもう一つは色々あってカツラ橋とか日光市の神橋ともあるようです。
今年度の引越専中四国協組総会が錦帯橋のそばのホテルで行われ、連合会からも参加で開催され改めて橋の学習です。

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