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EMOTION感性 NO.1342 h31-2-4 ◆スーパー経営コンサルだった二宮尊徳2019.02.04

NO.1342  h31-2-4
◆スーパー経営コンサルだった二宮尊徳
「荒地は荒地の力で」最近はかなり減っているようですが、かつて小学校の校庭の片隅にあるものといえば、幕末を生きた二宮尊徳(金次郎)の銅像でした。薪を背負って歩きながら本を読む姿は、私たちは誰でも記憶に残っているのではないでしょうか・・
いかにも勤勉を絵に描いたような人物に見えますが、それだけではありません。今風に言えば、農業をベースにした超一流の経営コンサルタントだったのです。

尊徳は小田原藩領の農家に生まれ、成人する前に両親を亡くします。しかし20歳のとき、嵐で田畑を流された生家の立て直しに成功。その後、奉公先の小田原藩で、大借金を抱えていた家老宅の財政を5年がかりで立て直します。
それが評判を呼び、今度は小田原藩主の指示で分家旗本の荒れ果てた領地の経営を任されますが、こちらは10年をかけて国内屈指の豊かな村へと変貌させました。

この事業で尊徳の名声は確立され、各地で請われて地域の再生に尽くします。50歳代半ばで幕臣に登用され、晩年には日光の経営を任されるまでになりました。
では尊徳は、どうやって各地の再生を果たしたのか。実は、画期的なノウハウや奇策があったわけではありません。領民全員が誠実に働き、分をわきまえた暮らしをして、余剰分を地域社会のために活用する。このサイクルを繰り返すことで、少しずつ地域全体を豊かにしようというのが基本姿勢です。

これを「報徳仕法」と言いますが、尊徳はその本質を端的に表した有名な言葉を残しています。それが「荒地は荒地の力で」です。
個人でも組織でも、窮地に立てば外部に支援を求めたくなるのが常でしょう。しかしその前に、自分たちでできることを徹底的に考えて実践しようと説いているわけです。
もちろん、“荒地”の再生は一筋縄では行きません。勤勉で質素な生活を求められる領民の中には、不満や不安を持つ人もいたことでしょう。しかし尊徳には、絶対にうまく行くという確信があったようです。しばしば以下のように説いていました。

「天地はたえず活動していて、我々をとりまく万物の成長発展には止むときがない。この永遠の成長発展の法にしたがって、休むことさえしなければ、貧困は求めても訪れない」
農業をベースにしているからこその言葉でしょうが、なかなか説得力があります。ここまで断言されれば、領民も大船に乗った気持ちで働けたはずです。
村人から信頼を失っていたある地域の名主から相談を受けたとき、尊徳はその原因を「利己心」と看破し、「全財産を売ってすべて村人のために使いなさい」とアドバイスしています。(齋藤孝氏文より)

コストカッターと言われて実績を出しても自分には甘さがあるのか、一気に信用がなくなるだけでなく、犯罪者となり・・逮捕されることに・・

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