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EMOTION感性 NO.1347 H31-3-11 ◆気付きを持続さそう2019.03.11

NO.1347 h31-3-11
◆気付きを持続さそう
「これはいい!」とか「交通法規法・スピードは無論、車間距離を保つことを守る!」と知っているのだが・・
「気づきを持続させ、自己を変革させるか」というテーマを掲げたい本を読んだり、セミナーなどで心を打つ言葉に出会い、自分の中で思いを新たにして頑張ってゆこうと思っていても、すぐれた講師の話を聞いて感動したり、気がついたことがあったとしても・・、やがてその感動が色あせ、気づきを持続できず、いつの間にかその感動が薄れ、元の木阿弥にもどってしまうことを経験していませんか?
続けてゆくことが難しいということを痛感させられていて、そんな自分の悩みを見透かしているかのような思いをされたことがみんなあります。人間は誰しも同じような悩みを持つものです。

仏教には二千五百年来蓄積してきた叡智があり、さまざまな人間の苦悩や葛藤を見据えてきた歴史がある。それらの教えには、今にも通じるものがたくさんあるのだ。
どんな道であろうがまず「信」が大事だと説いた。「信」といっても何も盲口的に信じればいいというものではない。仏教では信を三つに分けている。まず知的に理解すること、次に感情の上で感動すること、そして実践しようという意志を持つことである。

分かりやすく言うと、まずなるほどと理解し、すばらしいと感動して、よしやってみようと意志を持つことなのだ。なるほどと理解することはまだたやすい。その感動と意志を持続させることこそが、自己を変革することに繋がる。そこが禅に於ける修行でもある。
日々の掃除や姿勢を正すことなど、身近なことを実直に継続することが大切になる。
「切」の意味、「切」とは『広辞苑』を見ると、「しきりに、ひたすら、ねんごろに」という意味がある。また「切に」となると、「心をこめて」という意味になる。何事においても、ひたすらに、心をこめてということである。

『博山和尚参禅警語』という禅の書物には「工夫をなすに、最も要緊なるは是れこの切の字なり。切の字、最も力有り。切ならざるときは則ち懈怠生ず」という言葉がある。
工夫とは、修行のことと見ていいであろう。我々が、気づきを持続させ自己を変革させていくにも、もっとも緊要なのは「切」の字だという。「切」の一字こそ最も力かおる。切でない時に人は怠け心が起きてくるというのだ。
俗に「対岸の火事」というが、自分に関係のないことのようにとらえている時は、全く「切」ではない。それに対して「尻に火がつく」というが、そうなると切迫してくる。「切」になってくるであろう。しかし、禅に於いてはそれでは、まだ手ぬるいのだ。頭に火がついたと思って修行に打ち込めと教えられる。(円覚寺管長横田南嶺の文より)

新井貴浩が現役時代何人かの選手とゴマの行をしていたのを思い出します。

 

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