EMOTION感性 NO.1358 R1-6-3 ◆五輪を夢見た男 金栗四三2019.06.01
NO.1358 R1-6-3
◆五輪を夢見た男 金(かな)栗(くり)四三(しそう)
ストックホルム・オリンピック出場後、金栗四三は足袋屋「播磨屋」の協力を得て、足袋にゴム底を付けた「金栗足袋」を開発します。後には甲に紐を付けた型に改良されました。以降、戦後にいたるまで多くの日本のマラソン選手が金栗足袋を履いて走りました。
金栗も金栗足袋で耐熱トレーニングを積み、第一回日本選手権のマラソンで優勝し、翌年の同大会では世界新記録を出します。
卒業後もドイツ大会に向け、ドイツ語を学び、食事を米からパンに切り替えるなどの調整を行います。 1936年の第6回ベルリン大会では、金栗足袋を履いたメダリストも登場します。しかし、金栗自身の記録は、第7回アントワープ大会では16位、第8回パリ大会では、32.3キロ地点で棄権という結果に終わります。3度の出場を果たしながらも日本選手としてオリンピックで結果を残すことはできませんでした。彼は「悲運のオリンピックランナー」として語り継がれることになります。その後は経験を生かし、マラソン界の発展と日本スポーツの基礎を築き、その功績から「日本マラソンの父」と呼ばれるようになりました。
ヨーロッパで女性が競技に参加する姿を目にした金栗は感銘を受け、日本での女子体育の必要性を感じます。日本初の女子テニス大会を開催し、関東女子体育連盟を結成するなど、女子体育の振興に力を注ぎました。また、チームで長距離を走る「駅伝」を発案し、大正6年には「東海道五十三次駅伝」、大正9年には、今では正月の恒例となった「箱根駅伝」を企画しています。
そんな金栗には、長年心残りになっていることがありました。それは、初めて参加したストックホルム大会で、途中棄権をしたことでした。ストックホルム大会から50年目の1962年(昭和37年)、スウェーデンの新聞記者が「消えた日本人」を探し、金栗のもとを訪れます。
金栗への取材記事はスウェーデンの新聞やテレビで大きく紹介され、5年後、スウェーデンのIOC委員会から、ストックホルム・オリンピック55周年記念行事への招待状が届きます。
ストックホルムの競技場を訪れた金栗は75歳。大観衆が見守るなか数メートルほどを走り、ゴールテープを笑顔で切りました。すると「日本の金栗選手、ただ今ゴールイン。記録は通算54年と8ヵ月6日5時間32分20秒3.これをもちまして第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了といたします」とアナウンスが流れます。ゴール後、記者に囲まれた金栗は「長い道のりでした。その間に妻をめとり、子ども6人と孫10人ができました」とユーモアたっぶりに答えました。
晩年まで各地のマラソン大会へ出かけては選手を激励し、笑顔でレースを見守っていた金栗は、「体力・気力・努力」の精神のもと、誰もがスポーツを楽しむ日本をつくることに生涯をかけました。1983年(昭和58年)に92歳で亡くなった金栗の墓前には、「体力・気力・努力」の文字が刻まれた記念碑が建てられています。
世界に活躍した日本人の話が沢山あります。その中の一人です。
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